こんににちは。
今回は、人の目を気にすることが無意味である理由についてお話しします。
”無意味”
この言葉は、人の目ばかり気にしていた僕にとって、衝撃的で心に深く突き刺さりました。
この言葉が意味するもの、、、
そして、その理由を伝えていきたいと思います。
無意味
無意味というのは、言葉の通り”意味がない”ということになります。
他人の目を気にすることは
”良い” とか ”悪い”
そういう問題ではなく、”無意味”なんです。
考えてもしょうがない、、、考えることさえするな!
ということです
その理由を、次で説明します。
他人の感情はコントロールできない
これが結論になります
そもそも、人の目を気にする人って、本当は何を気にしているかというと
- 人から嫌われないかどうか
- 人に失望されないかどうか
を気にしています
しかし、この悩みを解決するには、全員から好かれるように努力する必要があります。
そんなこと不可能ですよね?
だって、十人十色、色んな人がいるわけですから。
例えば
ある人が、あなたに「真面目に生きなさい」と言って
あなたは真面目に生きたします
しかし、ある人からは「お前つまらなくなったな」と言われたりします
2012年のドレスデン工科大学の研究で
人が人を好きになる理由は、大体みんな同じなのに対し
人が人を嫌う理由は、ほぼバラバラ
という結果が出ています
嫌われる理由なんて、いっぱいあるってことです。
ある人に嫌われないように努力したとしても、また別の人に新たな点で嫌われます。
”他人をどう評価するかは、他人の判断に任せればいい”
なぜなら
”他人の感情はコントロールできないから”
結局、コントロール出来るのは自分の行動だけなんですよね。
生きづらいと感じていませんか?
僕も含めて、人の目を気にしている人って
”生きづらさ” を感じていると思うんです
このモヤモヤの正体って
”自分らしく生きてない” ことだと思うんです
他人の目を気にして生きるのは、他人の人生を生きてることになります。
僕の好きな言葉を紹介します
自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるのだろうか
by ユダヤの教え
人の目を気にしない方法
それは、この考えを理解することです。
正直、難しいです。
僕もまだまだできていません
言葉だけで、分かったつもりになってはいけません。
学校教育や親から教った思考は、そう簡単には変わりません。
本当の意味で理解し実践できるまで、何度も何度も考え、体に染み付くまで繰り返す必要があります。
それが出来ると
- あれ?今の自分の行動って、人の目を気にしてやってるよね?
- あれ?この人、〇〇さんのことコントロールしようと思ってない?他人を変えることなんて出来ないのに、、、、
- あれ?何でこの人怒ってるの?自分の考えが正しいって思ってるからでしょ?それって自己中じゃない?
など、周りの人に対しても、それから自分に対しても客観的に見れるようになってきます。
これは、『嫌われる勇気』の本に出てくる
”課題の分離”っていう考えなんですけど
”自分の課題”か”他人の課題”か
自分の課題 → 自分でコントロールできる(自分で解決する)
他人の課題 → 自分でコントロールできない(考えても無意味=考えない)
この考えができるようになると、人の目を気にしないようになっていきます。
人の目を気にしないというよりは、気にしても無駄だから考えないで、自分のできること(自分が好きなこと)をやろうという思考になります。
すると、自分で決断していく=自分の人生を生きることになります。
人の目なんて気ならなくなりますよ
まとめ
- 嫌われないように努力しても”全く無意味”である
- コントロールできるのは自分の行動だけ
結局、自分が幸せになる行動を、他人の目を気にせずどれだけ行えたかで幸福度は決まります。
自分の人生を生きれるのは自分だけです
頑張っていきましょっ