モノが増え続けていく理由。物欲を満たしても幸せになれない!?【ミニマリスト】

書評

こんにちは。

僕は最近「ミニマリスト」に興味があります。

きっかけは「本をたくさん読むために、時間をつくろう」と考え、「時間術」的な本を何冊か読み出したのが始まりです。

その中で「無駄なことをなるべく減らし、必要なことは習慣化してしまえばいい」と知って、まずは要らないものを捨てる「掃除」から始まりました。

それから、少しずつ「モノ」への考え方が変わっていき、次第に「シンプル」「ミニマリスト」という価値観が芽生えた感じです。

今回は『ぼくたちに、もうモノは必要ない。|著者 佐々木典士』の本を読んでの感想を、お伝えしようと思います。

「モノを減らす」ということは、自分の生き方・価値観にも影響を与えるものだと僕は思っているので、気になる方はぜひ読んでみて下さい。

こんな人にオススメ

  • 物欲が止まらない人
  • すぐ人と比べてしまう人
  • 将来に不安のある人

僕は「モノを減らす」ようになって、将来の漠然とした不安だったり、お金の不安というものが和らいでいきました。

自分の中の価値観を大切にして、自分が本当に必要だと思うモノだけを揃えるようになりました。

まだまだ「ミニマリスト」と呼ぶには程遠いですが、これからもモノに執着しないように生きていこうと思っています。

ちなみに、「ミニマリスト」の定義を本書では

  • 本当に自分に必要なモノがわかっている人
  • 大切なもののために減らせる人

だと書かれています。

自分が目指すミニマリストになろう👊

では、さっそく始めていきます〜

モノが増え続けていく理由

結論モノにはいつしか「慣れ」が来て「飽きる」。そして別の「刺激」としての新しいモノが欲しくなるから。

買ったばかりのワンピースを初めて着るときは嬉しいだろう。

5回も着ると「慣れて」しまい喜びは減る。

10回も着れば、新しいモノではなく「当たり前」にクローゼットにあるモノだ。

50回も着れば、「飽き」てしまうかもしれない。

「慣れ」→「飽き」という仕組みだ。

このことは、誰でも分かっていることでしょう。

そして、「慣れた」後はどうなるのか。

それは、刺激の「差」を求めるようになるそうです。

これは、人の神経ネットワークの話になります。😂

例えば、ソファで寝ていたはずの人がテレビを消した途端「見てたのに」と言いながら起きる現象。(テレビがついている状態の刺激に「慣れて」寝ていたのに、消えたことで刺激がなくなるという「差」によって起きてしまう)

これと同じ現象が「モノ」にも起きてしまい、刺激の「差」を求めて新しいモノが欲しくなるのです。

また、「慣れ」→「飽きる」力はとんでもなく強力な毒で、あらゆる面に悪影響を及ぼします。

・千円の指輪 →1万円の指輪 →30万円の指輪

・中古車 →新車 →高級車

買い換える(刺激を変える)、量を増やす(刺激の量を増やす)、より価値を高くする(刺激を多くする)などして、

「差」を作り出さなければ刺激を得られないのです。

要するに、キリがないってことですよね。😂

まずは、新しいモノを求めても、結局「慣れ」→「飽きる」という、この仕組みを知ることからです。

刺激の「差」を求めても意味がない

上記でキリがないとも言いましたが、その具体的な理由として3つ挙げます。

①喜びがモノの価格に対して比例しない

モノを手に入れても、自分が感じられる喜びは今とあまり変わらないのです。

喜びには「限界」があり、いくら高いモノを手に入れても、価格に対して喜びが比例するわけではないのです。

例えば、5万円の指輪をもらったとして、1万円の指輪をもらったときより5倍笑顔になれるわけではないですよね。

モノの価格に比例して喜びが増すのなら、どんどん高いものを買っていきたいですが、それで幸せを感じることはないのです。

②優勝の喜びは3時間?

人が刺激に「慣れる」スピードはとんでもなく早いことが知られています。

〜ハーバード大学の心理学者、タル・ベン・シャハーのエピソード〜

彼は16歳でスカッシュのイスラエル・チャンピオンになった。

毎日6時間、5年間の練習の成果がついに報われたのだ。

しかし、優勝の祝賀会の後、帰宅した彼は自分の部屋で、長年の夢が叶った幸せがすでに消え去っていることに気づいた。

その喜びは3時間しか続かなかったという。

勝利の喜びは敗者の苦しみにはかなわない。

そして、幸せな気持ちは悲しい気持ちほど長く続かない。

なんか虚しいですね。

目標を達成しても、次の欲求が出てきてキリがない。😂

もうこの事実は受け止めるしかないですね、、、。

③「慣れ」→「飽き」てしまうのは当事者だけ

この現象は、人と比べても意味がないんです。

「差」を生み出すために比べる刺激は、自分の中にしかないからです。

例えば、W杯で惨敗した直後の本田圭佑に対し、ぼくがこう言う。

「試合に負けたけど、まあいいじゃん、元気出しなよ。

君の年俸は何億円もあるし、かっこいいフェラーリにだって乗ってる。

引退したら指導者としても引くてあまただろう、だから将来に何の不安もない。

ぼくと比べみなよ。だから元気だしな」

、、、どう考えてもこれで本田が納得し、元気を取り戻せるはずがない。

「元気が出てきたわ〜、ありがとう〜」とはならない。(試合に勝たないと満足できないはず)

比べられるのは、他のあくまで自分の中にある「刺激」だけで「差」は自分の中で作り出すしかない。

他人と比べても意味がないってことですねぇ〜。

自分の価値を認めたいだけ

では、何の目的のためにそんなにたくさん必要でないモノを持とうとするのか。

それは「自分の価値を伝える」ためです。

僕たちは自分の価値を、モノを通して誰かに伝えようと懸命なのです。

人間は孤独が怖いのです。

「自分には価値がある」と思わずには、人は生きていられないのです。

日本人は鬱病と自殺者が多いという背景からも見えてきます。

だから、「自分には価値がある」と確かめたい気持ちは、食欲や睡眠欲などの生理的な欲求に次ぐ、最も強い欲求で、あらゆる行動に影響します。

これは、別に悪いことではなくて、生きていく上で必要なこと(当たり前)なんです。

問題は「自分には価値がある」と他人に伝える方法にあります。

仕事をこなす能力、創造力、勤勉さ、忍耐力。

これを誰かにモノなしで伝えるのには時間も手間もかかります。

だからモノで伝えた方が圧倒的に早い、、、そう考えるんです。

モノは内面と違い、誰にでも見えるのだから、圧倒的に早く「自分の価値」を伝えられます。

でも、「自分の価値」を伝える目的に、あまりに重点を置くと、問題が起きます。

それは、「モノ」と「自分」がイコールになることです。

「モノ」を「自分自身」だと勘違いしてしまうようになると、さらにモノは増え続けていきます。

モノの量でしか自分の価値を図れなくなってしまうんですね、、、

そして、モノを増やすこと自体が「目的」になってしまう。

でも、上記でも述べたように、モノを増やして「刺激」を求めてもキリがないんです。

だから、モノに執着しないようにしましょう、、、😂(程よい距離感を!)

まとめ

  • モノが増える理由は「慣れ」→「飽き」が来て、刺激の「差」を求めるから。
  • 喜びはモノの価格に対して比例しない(欲求は尽きない)
  • 人は自分の価値をモノを通して伝えたいだけ

僕はモノは減らすようになって、自分にとって必要なモノを真剣に考えるようになりました。

そして、モノが多くあった時よりも生きやすく、将来への不安も和らいでいったと思います。

みなさんも「モノを捨てる」ことから始めてみて下さい。

人生変わるかもしれませんよ。

ありがとうございましたっ。

書評
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警察官を辞めて自分らしく生きると決めたヤツ。